ビジョナリー経営者も実践!正しい失敗経験こそがイノベーションへと繋がり、成功へと導く理由

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ビジネスに失敗はつきものです。ですが意外とこの”失敗”に関して、正しく理解している経営者やビジネスパーソンは意外に少ないことを感じます。

先日も、とあるイベントの集客が思ったよりもうまくいかなかった経営者から「やはりこの企画には無理があると思っていたのですが・・・」という愚痴めいた反省の弁をお聞きしました。

お気持ちはわかるのですが、この集客の失敗がどのタイプの失敗かによって今後の対応策は変わりますから、経営者として盲目的に悲観している場合ではありません。

こういった失敗を深く考察するためには、ハーバード・ビジネススクールのエドモントン教授の提唱する「3つの失敗」がとても参考になります。

 

 

 

「3つの失敗」を正しく理解すること

ハーバード・ビジネススクールのエドモントン教授曰く、人間の失敗には「予防できる失敗」「避けられない失敗」そして「知的な失敗」の3つがあります。

まずは「予防できる失敗」です。これはきちんとやれば本来回避できた失敗を指します。例えば調査不足による失敗や、段取りを甘く見たことによる失敗、あるいは本当にうっかりしたことによる凡ミスなども含まれます。

本来あってはならない失敗ですので、この失敗をした場合は深く反省し、2度と同じことが怒らないようにあらかじめ対応策を検討したり、業務プロセス上のチェック機能を構築する必要があります。

次は「避けられない失敗」です。これはご自身や自社だけでは回避しようのない、自然災害を含む外部環境による失敗を指します。ここ10年間であれば、リーマンショックや東日本大震災による業績悪化などが該当します。

こういった万が一に備えようとする意識は重要ですが、具体的には避けられない失敗ですので、保険などで損失をリカバリーするなど、リスクマネジメントにおけるリスク移転などが具体的対策となります。

また、そういった外部環境で業績悪化する可能性のある事業から、景気や外部環境に左右されない事業へとシフトしていくことも中期経営計画における対策となります。

例えば元手のかかるビジネス。具体的には設備投資や在庫を抱えるビジネスから、ファブレスで受注生産方式のビジネスへ、または更に進んでアイデアやノウハウを提供するサービスビジネスへと転換することで、固定費のかからない事業が実現します。

こうすることで、外部環境に左右されず、不確実性の高い時代でもフットワーク軽く、柔軟な経営を実現する事が可能となります。

 

「知的な失敗」こそがやったほうがいい失敗である

では最後の一つ、「知的な失敗」とはどういうものなのでしょうか?

これは、いわゆる前例のない、”挑戦的”な失敗のことです。前例がないということはこれまで誰もやったことがない挑戦ですので、そもそも失敗しない方法など誰にもわからないわけです。

ですが、誰もやったことのない挑戦であるがゆえに、成功すれば桁違いの成果を得ることになります。これこそが”やったほうがいい失敗”なのです。

実際、アメリカ・シリコンバレーに乱立する多くのIT企業は、こういった前例のない、挑戦的な失敗を数多く繰り返しています。その中で、死屍累々の失敗して消えていった企業の上に立つ、成功した企業の代表こそがアップル、アマゾン、グーグル、マイクロソフト、フェイスブックなのです。

これら企業の株式時価総額は50兆円を超えており、アップルの時価総額は今や100兆円。実に日本の国家予算規模なのです。スケールが大きすぎるように思えるかもしれません。ですがこれらの企業は全て、創業者と数人のビジネスパートナーからスタートしているのです。

 

販売60周年で累計1億台の販売を産んだ、ホンダ「カブ」誕生秘話

実は日本企業でも、この「知的な失敗」の繰り返しにより、成功した事例は数多くあります。

その際に大切なことは、小さくテストスタートすることです。小さいスタートであれば、失敗しても傷口は小さいわけです。加えてそれが「知的な失敗」であれば、むしろ得られることばかりです。

この小さくテストスタートしたことで、誕生60年で生産累計1億台というとんでもない大ヒット商品となったバイクがあります。ホンダ(本田技研工業株式会社)創業期の代名詞とも言えるバイク「カブ」です。

その誕生秘話に関して、ホンダの広報として長年、スーパーカブをはじめとする二輪のPR業務に従事されていた高山氏のインタビュー記事があります。

 

本田宗一郎さんといえば戦後の日本はもちろん、戦前から製造の分野において 活躍されていた方ですね?

本田さんが好奇心旺盛な根っからの「技術屋」だったのは、ご存知の方も多いと思います。本田さんは戦前、東京のアート商会という自動車修理工場で、自動車の修理に関わることになるのですが、アート商会浜松支店には、遠方の地から自分の車を治してほしいとさんの元を訪れるほど評判ぶりでした。

その後、本田さんは実績を重ね東海精機重工業というピストンリングを作る会社を 設立する事に成功します。ピストンリング会社の経営は順調だったのですが、 設立からしばらくすると日本は戦争の世の中へと突入していきます。

戦時中も本田さんは製造の分野に関わっていたのでしょうか?

ホンダの創立50周年誌には本田さんの戦時中についてこのように書かれています。

「本田さんは戦時中も製造に関わっていたのですが、自身の会社からも男性の工員が徴兵によっていなくなってしまい、代わりに女性が働くようになります。そこで、本田さんは不慣れな女性たちが簡単に製造できる機械を考案し、工場を回していました。しかし、日本が敗戦に近づくにつれ、本田さんの置かれた状況も悪くなっていきま した。工場のあった浜松は、太平洋戦争の末期に非常に激しい空襲に遭い、東海精機重工業の工場も破壊されてしまいます。」

戦時中に様々な経験をした本田さんですが、終戦後は自身の持っていた会社を手放し、しばらく仕事から離れ休養期間を置くことになりました。

休養期間というと?

本田さん自身が戦争によって多くのものを失い、「もぬけの殻」になってしまった のです。そこで、仕事をやめて自身をリセットする期間が必要だと考えました。 自身の会社を売却した後1年間は仕事をせず、自由に暮らしていたようです。

しかし、休養期間の間に、本田さんは終戦後放置されていた陸軍の無線機を動かすためのエンジンを何かに使えないかと考えます。ある時、奥さんが大変な思いをして、自転車で遠くまで買出しに行く姿を見て、自転車の補助動力として使うことを考え出します。

なるほど。終戦直後という時代ならではの発明ですね?

最初は本田さんの奥さんがテストライダーとして、このエンジン付き自転車に乗っていたそうなのですが、それを見た人が次々と本田さんのもとを訪れ、ぜひ改造 エンジンを売ってほしいと頼み込んだそうです。

この改造エンジンは非常に好評となりまして、本田さんは浜松の地に本田技術研究所を設立し、事業としてエンジンの加工に取り組むことになります。しかし、 非常によく売れてしまったため、改造元だった軍用の発電エンジンが底を尽きてしまいました。そこで、本田さんは自ら自転車用エンジンの設計に取り組む事に なります。こうして本田さんが一から設計し、誕生したのが「A型エンジン」になります。

 

 

このように、世界のホンダの「カブ」誕生のきっかけが、終戦直後に自転車で遠くまで買い出しに行く奥様の姿をいて、自転車の補助動力として改造することを思いついたことに起因しているのです。

まさに小さなテストスタートによる小さな成果がイノベーションに繋がり、ホンダ躍進のきっかけになったと言えるわけです。

もし仮に、本田宗一郎氏が奥様の様子をみて自転車の改造に着手しなければどうだったでしょうか?また仮にこの小さなテスト結果から事業として挑戦する意思決定を、失敗を恐れて実施しなければどうだったでしょうか?おそらくホンダ「カブ」が累計1億台も売れる、60年後の未来はなかったはずです。

今は不確実性の高い時代と言われます。そして社会全体で抱える問題はより複雑で多様化しています。ということは見方を変えれば、挑戦すべきテーマが数多くあるということです。大事なことは失敗を恐れない姿勢です。

そんな時にこそ、この「3つの失敗」を正しく理解し、「知的な失敗」に挑戦して成功するための”小さなテストスタート”を心がける姿勢が、経営者には求められると、私は思います。